「ちょっと私、下に行ってきます」 机の上に広げていた書類を失くさないように大慌てでバインダーに放り込んで準備をする。「朝日奈、宮田さんって誰だ?」 事務所を駆け出して行きそうな私の後ろから、袴田部長の声がした。「あの……最上梨子さんの、マネージャーをされてる方です」 振り返り、部長に愛想笑いしようとしたが顔が引きつった。今は部長の目を見ちゃダメだ。「最上梨子の?……じゃあ、俺も挨拶しとくか」 部長のその言葉で、引きつった顔から冷や汗が出そうになる。「いえいえ、大丈夫です! ほんの、端的な話だけかもしれませんから私が行ってきます!」 袴田部長は私の上司だ。 だから部下がお世話になってる人に挨拶しようとするのは、当たり前の話なのだけれど。 なぜか私はふたりを会わせてはいけない気がした。 だって、なにかボロが出そうで怖い。「おい!」と後ろから部長の声がしたけれど、私はそれを振り切って廊下を走った。 こんなにやましい気持ちになるのはやはり……例の秘密を抱えているから ――。 エレベーターを降りて一階のロビーへと到着すると、宮田さんが接客用のテーブルセットの椅子に腰を下ろして出されたコーヒーを悠長に飲んでいた。「宮田さん、どうしたんですか?!」 私の声に顔を上げて、にこりと微笑む。 今日の宮田さんはいつもと違って、パリッとしたスーツ姿だ。「ちょっとね、朝日奈さんに会いたくなって」 ……中身はいつもと変わらない。「冗談はやめてください」 「ははは。怒ってる。怖いなぁ」 ……怖いなんて、微塵も思ってないくせに。「頭の中が煮詰まりそうだったからさ、見学にこようと思って」 「え? ここにですか?」 「うん、チャペルとか披露宴会場とか衣裳部屋とか。そういえば見てなかったもんね」 「そうですね」 「見学するなら、朝日奈さんと一緒に回るべきでしょ?」 見ても参考になるかどうか、正直わからないけれど。 本人が見たいと言うのだから断る理由などない。 だいたい、なにが元でインスピレーションが湧くのかわからないのだから。この人は、特に。「見学できる?」 「はい。今日は平日ですので、少しだったら大丈夫かと」 「そ。じゃ、行こう!」 「というか、事前に電話くらいしてください。いきなり来られたらビックリするじゃないです
「森のイメージのやつさ、場所はここでもいいんじゃない?」 「え?」 「せっかくこんなに綺麗な庭があるんだから。朝日奈さんのイメージした“木々があふれる森の中”をここに造るんだよ」 そうか、それもありだよね。 庭に造ってしまう構想は私の頭にはなかった。 それが本当にできるかどうかはわからないけど。 ……本物の木を植えていくのは無理があるし。 それでも、宮田さんと一緒に見てまわってイメージが湧いたのは私のほうだ。「ガーデンプランナーさんに相談してみます」 そう言うと、宮田さんは笑って大きく太陽に向かって伸びをした。「朝日奈!」 そんな私たちの背後から声がして、振り返ると袴田部長がこちらに歩み寄ってきていた。「ぶ、部長!」 動揺して、思わず部長と宮田さんの顔を交互に見てしまう。「すみません、ご挨拶が遅れました。袴田と申します。いつも朝日奈がお世話になっております」 宮田さんの前にきちんと姿勢よく立って、部長がいつものようにさりげなく名刺を差し出す。「上司の方にもご足労をいただきまして申し訳ありません。わたくし、最上梨子のマネージャーをしております宮田と申します。いつも朝日奈さんには最上がお世話になってます」 宮田さんのスイッチが見事に切り替わった。 声質までいつもより低音になっている。 自然とこんな声と口調になれるのだから、どちらの宮田さんが本当の宮田さんなのか、わからなくなってくる。 そんなことを思いながら、二人が名刺交換するのをただぼうっと見つめていた。「今日は……最上さんは?」 一緒に来ていると思ったのか、部長が不思議そうに最上梨子の姿を何気なく探している。「今日は私が最上の代理で見学に来ました。最上は……わがままなところがありまして、外に出ることを嫌いますので」 わがままなのは、あなたです。「そうでしたか。最上さんが、ご自分の目で見てみたいとご要望されたのかと思ったんですが。私の勘違いですね」 だいたい部長が、こんなところをたまたまフラフラと歩いているわけがない。 受付の誰かに、私たちが館内を見て回ってることを聞いたのだろう。 ……最上梨子も来ているかも、と考えたのかもしれない。 上司として挨拶や話をしなくてはと思ったのか、はたまた単純に最上梨子の容姿を見てみたいと思ったのか、理由は定
「朝日奈ー、ちょっと来い」 あれから見学を終えて帰っていく宮田さんをロビーでお見送りした。 事務所に戻ってくると、早速袴田部長からの呼び出しがかかる。 なにを言われるのだろう、いや……なにを問いただされるのだろう、と背中に緊張が走った。 宮田さんのことで部長が何か怪しいと思う部分があったんじゃないだろうか。 まさか、――― 秘密のことを見破られた?「あっちで」と、指し示されたのはミーティングルームだった。 「朝日奈、お前……大丈夫か?」「……え? なにがですか?」 怪訝な表情の部長を前に、私は冷や汗をかきながら動揺した。 今の自分は絶対に目が泳いでいる。 だって何について聞かれているのか、抽象的過ぎてわからないから余計に怖い。「さっきの、宮田さんだよ。最上梨子も変わり者だって噂だが、マネージャーのあの人も変わってそうだな」 ええ、同一人物ですので。「あの人さ……」 「はい」 「もしかして、お前に気があるんじゃないのか?」 「は?!」 部長の言葉が突飛すぎて、意味がわからない。 なにを言ってるんですか、という意味を込めて瞬時に驚きの声をあげた。「部長、わけのわからないことを言わないでくださいよ。なにを根拠にそんなことを……」 「俺に対して牽制するような視線を向けてきた。まるで敵視するみたいに」 「え?!」 私もあの場にいたけれど、どの段階で宮田さんがそんな視線になったのかまったくわからない。 私にはちゃんと温和なマネージャーキャラを演じていたように見えていた。「部長の勘違いじゃないですか? だいたいどうして部長を敵視するんですか」 「俺が結婚してるか尋ねてきただろ? あのときにそう感じた。俺とお前の関係を気にしたんだろうな」 たしかにあの質問は突飛だった。 話の流れでとかそういうことではなく、いきなり宮田さんが振った話題だったけれど。 だからって、それだけで判断するのはちょっと乱暴だ。「私が部長となんて、ありえませんよ!」 「お前……それはいくらなんでも俺に失礼だろう」 「すみません」 笑いながら謝ると、部長も噴出して笑った。「俺もお前が誰と付き合おうが、恋愛事情なんて知ったこっちゃないが。仕事は仕事だ。公私混同して滅茶苦茶にするなよ? それに、あの宮田さんにもしもしつこく迫られたら
「……疲れた」 自然と独り言が口からついて出る。 この日の私は提携している照明会社への訪問、社内会議、報告書の作成など、とにかく目まぐるしく過ごしていた。 やっと長い一日の仕事を終えようとするときには、時計はすでに20時をまわっていた。 会社を出て、駅へと向かうその道すがら、楽しそうに大きな声で会話する酔っ払ったサラリーマンの中年男性数名とすれ違う。 ……いいなぁ、楽しそうで。 だいたい、こんなに忙しくしていてはストレスが溜まるばかりで、恋をしている暇もない。 とはいえ、出会い自体もないのだけれど。 たまには私も友達を誘って飲みに行き、せめて日ごろの鬱憤だけでも晴らさなきゃやってられないな、などと考えていると、バッグの中でけたたましくスマホが鳴った。 着信画面の表示を見て、そのまま『拒否』のボタンを押したい衝動にかられるが……。 仕事の電話なのでそうもいかない。「もしもし、朝日奈です」 疲れた身体に鞭を打ち、営業用のすました声で対応する。『あ、朝日奈さん? 今からこっち来て』「来れる?」ではなくて、「来て」というあたりが、相変わらず有無を言わせないわがままっ子ぶりだなと思う。 わがままというより、王様みたいだ。 最近のストレスの元は、やはりこの人じゃないだろうか。「い、今からですか?」 『そう。もしかしてもうお風呂入ってスッピンになっちゃったから、外に出たくないとか?』 「いえ。今仕事が終わって帰ってる途中ですので」 『そっか。じゃあ、ちょうど良かったね』 なにがちょうどいいのか教えてもらいたい。 こっちは長い長い一日が終わって、一刻も早く家路につきたいというのに。 それに、こんな時間に呼びつけて悪びれている様子は一切ないようだった。 『こんな時間まで仕事なんて大変だね』くらいのことは言えないのだろうか。 少しは労わったり、気を遣ってもらいたい。 ……あぁ、駄目。 きっと、この人にそんな気の利いたことを望んではいけないのだ。「えっと……明日ではダメなんでしょうか」 おそるおそる、極力失礼のない言い方でそう申し出てみた。 いいよと言うとは思えないけれど、一か八かで。『ダメダメ』 軽い口調で即答され、私はスマホを手にしたままうな垂れる。『だってね、めちゃくちゃ良いアイデアが浮か
でも、彼の言う“めちゃくちゃ良いアイデア”というのは、どんなものなのか気になる。 これまで、まったくイメージがわかないと言っていたのに。 彼のデザイナーとしての閃きは天才的だから、なにか少しでも取っ掛かりが見つかると、常人では思いつかないアイデアが降臨してくるのかもしれない。 そうだとしたら、時間がどうの、疲れがどうの、などと私の都合を言っていられない気がした。「わかりました。今からすぐ伺います」 私がそう言うと、『待ってるねー』という明るいトーンの声が聞こえて、そのままプツリと電話は切れた。 駅に着いて改札を抜け、構内のトイレに駆け込んだ。 鏡で自分の顔を確認すると、案の定ひどい状態だった。 このあとはもう帰宅するだけだと思っていたから、無防備に化粧が崩れてドロドロだ。 浮き上がった脂を取って、上からパフで粉を施す。リップも綺麗に塗りなおした。 すでに疲れきった一日の終わりに、一番疲れる人のところへ今から向かうのだ。 エネルギーは残っているだろうか。 心配になりつつ、ほかには誰もいないトイレで密かに気合を入れた。 最上梨子デザイン事務所へ着くと、宮田さんがいつものごとく笑顔で出迎えてくれて、すぐに例のアトリエ部屋へと通された。「朝日奈さん、早かったね。そんなに早く僕に会いたかったのー?」 いきなりの先制パンチにクラクラする。いつもの冗談に突っ込む気力もない。 今日はエネルギー不足だとか、そんなことはこの人には関係ないもの。「お電話いただいたときには、もうすでに駅近くにいましたので」 淡々とそう述べると、彼は「ふぅ~ん」と生返事をしながらコーヒーメーカーへと近づいていく。 そして、ふたつのカップにコーヒーを注いで戻ってきて、例の真っ黒な高級ソファーにゆったりと腰を下ろした。「あの、早速なんですが。先ほど仰っていた、浮かんだアイデアというのは……?」 「ああ、あれね。浮かんだのはまだ漠然としたイメージだけなんだけど。朝日奈さんがどう思うか聞いておきたくてね」 「……はい」 どんなアイデアなのか、すごく気になってワクワクする。 宮田さんが奥にあるデスクへなにか取りに行って、戻ってきたと思ったらガラステーブルの上に写真を並べた。 視線を向けると、それはこの前水族館で撮った写真だった。「これ!
しゃぼん玉か。会場の演出としては、アリだと思う。「入り口の両サイドに小さな装置を置いて、静かにフワフワっとしゃぼん玉が漂う中で来賓をお出迎えするのもいいですね!」 それならば、邪魔にはならないかわいらしい演出だと思う。 私の頭の中で、すんなりとイメージが湧いてきた瞬間だった。「えぇ? 入り口付近だけ? どうせならもっと派手にいこうよ」 「派手、に?」 「うん。披露宴中に上からもドバーっと、すごい量のしゃぼん玉を落とそうよ! 来賓客が驚いて、うわぁ~って声を出しながらみんな見あげるんだ」「え……」 「サプラーイズ! って感じになるでしょ。想像すると、ワクワクするね!」 あの……私はワクワクが吹っ飛んで、頭痛がしてきましたが。「そんなことできませんよ!」 「どうして?」 「来賓の方にしゃぼん玉が大量にかかって大変なことになります! それに、テーブルの上のお料理もお飲み物もすべて台無しですよ!」 「あー、そっか、なるほど」 いい案だと思ったのに、と宮田さんは肩を落としながら口を尖らせる。 来賓客の中でも特に女性は高級な着物やドレスを身に纏っている人が多数いる。 そんな人たちのお召し物に、シミがついてしまう可能性のある大量しゃぼん玉の演出なんてできるわけがない。 髪だってそうだ。 朝から美容院できちんと綺麗にセットしてもらった髪が、しゃぼん玉の泡でぐちゃぐちゃになるかもしれない。 若い人たちは比較的サプライズを喜んでくれても、中高年の人たちからはクレームになりかねないだろう。 はぁ……この人の閃きは非凡すぎるから。 凡人である私にはついていけないだけなのかな。 というより、まずは常識的なところに気を配ってもらいたいものだ。「あ、そしたらさ!」 目の前の宮田さんが、またなにか思いついたというような顔をする。 目がキラキラしている。 なにを言い出すのかと思うと、聞く私のほうが一瞬ひるんだ。「花火はどう?」 「は、花火?!」「うん。お色直しのあと、高砂に新郎新婦が座った途端に、両サイドから、シャー!って下から吹き上げる派手な花火。そういうのもサプラーイズ!って感じで、みんなびっくりするだろうね!」 そ、そんなにサプライズがお好きですか。 ドッキリを仕掛けるのが目的じゃないんですけど!「もちろん
「朝日奈さんさぁ、晩御飯まだだよね? たしか、仕事の帰りだって言ってたもんね」 「……はい」 「じゃあ、今からなにか買ってくるよ」 「え?!」 ……なんですか、その唐突な言動は。 今、仕事の話をしていましたよね? この人の頭の中のスイッチングが、本当にわからない。「けっこうです。お話が済めば失礼しますので」 「この近くにさ、遅くまでやってるテイクアウトのお店があるんだ」 すぐ買ってくるから、と笑みを向ける宮田さんに、人の話を聞いていますか?と突っ込みたくなる。「朝日奈さんはきっとお腹がすいてるんだよ。人って、お腹がすくと無意識に不機嫌になるからね」 一方的にそう言葉が放たれ、パタンと部屋のドアが閉まる。 急にシンと静まりかえる部屋。 突然ひとりでこの部屋に残されてしまった。 だいたい、去り際に言ったさっきのセリフはなんなのよ。 このイライラの原因は、空腹からきているとでも? 仕事終わりに呼びつけられ、おかしな発案ばかり聞かされればイライラしてくるに決まってる。 それを私が空腹だからだと思いこむあたり、ポジティブというかズレてるというか。 誰もいないのをいいことに、私はソファーの背もたれにダランと頭を乗せて、ぼんやりと天井を見上げた。 そのまま数分が経ち、宮田さんは仕事の相手なのだから、イライラさせられたとしても顔や態度に出しちゃダメだと少しばかり反省モードになる。 本当はあの人が、デザイナー・最上梨子なのだから。 やはり今日はエネルギーが足りていないのがいけない。 エネルギー不足だと、あの気まぐれイタズラわがままっ子には太刀打ちできない気がする。 なにを買いに行ってくれたのかわからないけれど、宮田さんが戻ってきたら、適当に理由をつけて今日はもう帰ろう。 こういうときは、仕事の話も仕切りなおすのが一番だ。 宮田さんが戻るのを待っていたはずなのに…… 私の身体はまるで充電が切れたかのようにソファーに沈んで、挙句まどろんでしまっていた。 ふと気づいた次の瞬間には、身体の上にブランケットが掛けられていて。 それに驚いて、咄嗟に飛び起きるように上半身を起こす。「す、すみません! 私、寝ちゃってました」 部屋の奥にある仕事用のデスクに座る宮田さんを視界に捉え、あわてて頭を下げる。
「あ、起きた?」 少しまどろむ、なんてかわいいものじゃない。 どうやら私はソファーで一時間以上ぐっすりと眠ってしまっていたようだ。「疲れてたんだね」 宮田さんがデスクから離れ、こちらへと歩み寄ってくる。 その顔はおだやかで、不機嫌な様子はない。「買ってきたものが冷めちゃったな」 「本当に申し訳ありません」 宮田さんにしてみれば、食事を買いに行って戻ってきたら私は寝ているのだからあきれただろう。 あぁ、もう……穴があったら入りたい、とはこのことだ。 恥ずかしさと申し訳なさで、真っ直ぐ宮田さんのほうを見ることすらできずにうつむく。「それにしても寝ちゃうとは。いい度胸してるよね」 「っ………」 機嫌を損ねなかったのは不幸中の幸い……などと勝手に思っていたけれど。 口調とはうらはらに、実は密かに怒っているのかもしれないと疑念を抱く。 宮田さんが怒ったところなんて、今まで見たことがないけれど。 こういうタイプは怒ったら怖い……とか?「それとも、僕を誘ってるってことだったのかな?」 隣に座った宮田さんを盗み見るといつもの笑顔を浮かべていたので、なぜかそれが私をホッとさせた。 ……怒ってはいないようだ。「ち、違います!」 「はは」 誘っているとか、100%冗談だとしても恐ろしいことを言わないでもらいたい。 冷静に考えてみたら、いつもこの部屋で私たちはふたりきりなのだから。「人生で最高に大切な思い出を、一緒に造ってあげたいのはわかるけどさ。ハードに仕事をしすぎたら身体を壊すよ?」 「……え?」 「雑誌で言ってたでしょ? この仕事を始めたきっかけ」 もうそろそろ失礼します、と頭を下げて帰ろうかと思っていた矢先だった。 宮田さんが不意にそんなことを言ったのは。 それって、例の…… 私が袴田部長に騙されて載ってしまった雑誌の話だ。『新郎新婦のおふたりにとって、人生で最高に幸せで大切な思い出を私も一緒に造ることができたらと思ったからです』 あの質問と答えの部分だけ活字がほかより大きかったけれど、そこまでよく覚えてるなと感心してしまう。「あれは……実際にそう思ってる部分はありますけど、ほかにももっとあるんです」 「?……なにが?」 「この仕事を始めようと思った、不純な動機です」 私が苦笑いでそう言う
「いえ。最上梨子が描きました」 「……だからそれは、あなたでは?」 ……どうして部長がそれを知ってるのだろう。 私の強張った顔からは嫌な汗が噴出し、これ以上ないくらいに激しい動悸がした。「ぶ、部長! なにを仰っているのかわからないです」 「朝日奈、お前は黙ってろ。俺は今、宮田さんに尋ねているんだ」 ここで部長にバレたらどうなるの? せっかくこんなに素敵なデザインを描いてもらえたというのに、すべて白紙に戻るかもしれない。 宮田さんは最初に言ったから。 秘密がバレたら、仕事は反故にする、と。 実際に、このデザインがドレスになることはないの? 幻で終わる? それも嫌だけれど、そんなことよりも。 部長がこの事実をほかの誰かに漏らしてしまったら……彼が最上梨子だったと世間にバレてしまいかねない。 それは絶対に嫌だ。 だって彼がずっと守り通してきた秘密なのだから バレるなんてダメ! 絶対にダメ!!「宮田さんは最上さんのマネージャーさんですよ! な、なにを変なこと言い出してるんですか、部長!」 「……朝日奈」 「私、黙りませんよ! おかしなことを言ってるのは部長ですから! 違いますよ、絶対に違います! マ、マネージャーさんが……そんな、デザインなんて描けるわけもないですし……」 「朝日奈さん、もういいです」 そう言った宮田さんを見ると、困ったような顔で笑っていた。「袴田さんには最初からバレる気がなんとなくしていました」 「朝日奈が必死に否定したのが、逆に肯定的で決定打でしたけどね」 「はは。そうですね」 そのふたりの会話で気が遠のきそうになった。 私があわてて否定すればするほど、逆に怪しかっただなんて。「で、いつから気づいてました?」 「変だなと思ったのは、あなたがここに視察に来たときです」 部長の言葉に、やはりという表情で宮田さんが穏やかに笑う。「普通、物を造る人間は大抵自分の目で見て確認したいものです。特にデザイナーなんていう、なにもない“無”のところから発想を生み出す人間は。……私もそうでしたからわかります」 「そうですね」 「だけどあなたは最上さんの代理だと言ってやって来た。いくら彼女がメディアには出ないと言っても、それはさすがに不自然でしたから」 「なるほど」 私にはそんなこと、ひ
エレベーターで企画部のフロアに到着すると、先に宮田さんを会議室へと通して袴田部長を呼びに行く。 私がコーヒーを三つお盆に乗せて部屋に入ると、ふたりが立ってお決まりの挨拶をしているところだった。「わざわざご足労いただいて恐縮です」 「いえいえ。こちらこそ最上本人じゃなく私が代理で訪れる非礼をお許しください」 「早速ですが、デザインが出来たとかで……?」 「はい」 袴田部長もどんなデザインなのか気になっているのだろう。 ワクワクしているような笑顔を私たちに見せる。「朝日奈、お前はもう見たんだろう?」 「はい。部長も今からド肝を抜かれますよ」 「お前……客人の前で“ド肝”って……」 「あ、すみません」 いけない、いけない。 普段の口調からなにかボロが出ることもあるんだから、この際私は極力黙っていよう。「では袴田さんもご覧いだだけますか」 先ほどと同じように、宮田さんが書類ケースからデザイン画の描かれたケント紙を取り出して部長の前に差し出す。 それを一目見た部長は、一瞬で目を丸くして驚いた様子だった。「これは……すごい」 ドレスの形はマーメイド。 色はエメラルドグリーンを基調に、下にさがるほど濃くなるグラデーションになっている。 肩の部分はノースリーブで、胸のところで生地の切り返しがあってセクシーさを強調している。 そして、なんと言っても素晴らしいのはスカート部分だ。 元々、曲線美を得意とする最上梨子らしく、長い裾のスカートのデザインは、まるで波のような動きを表していた。「この部分は?」 部長が指をさしたのは、肩から羽織る白のオーガンジーの部分だった。「海のイメージだったので、最上は人魚を連想したようで。それで形もマーメイドにしたようなのですが、上半身が少し寂しい気がしてそれを付け足したそうです。必要ないなら省くように言いましょうか?」 「いえ。これはまるで“羽衣”みたいだと思ったもので。私もあったほうがいいと思います。しかしドレスの色も、いいですねぇ」 「朝日奈さんに聞けば、披露宴会場の中は深いブルーにするおつもりだと。そこで最上は明るいエメラルドグリーンのドレスが映えると思いついたみたいです」 さすがですね、とデザインをベタ褒めする部長を見ていると私もうれしくて頬が緩んだ。 自分で絶好調だと
*** 約束していた翌日。 私は朝一番で袴田部長のデスクへ行き、ブライダルドレスのデザインが出来たことを報告した。 最上梨子の代理として宮田さんがデザイン画を持ってくる件も話し、部長のスケジュールを確認する。「それにしても、突然出来るもんかなぁ」 「え?」 「いやだって、全然進んでないみたいなこと言ってただろ?」 そうやって、少し不思議そうにする部長に、私は満面の笑みでこう口にした。「最上梨子は天才なんですよ」 宮田さんに伝えた時間は十四時。 その少し前に私は一階に降りて宮田さんの到着を待った。 しばらくすると、黒のスーツに身を包んだ宮田さんが現れて私に合図を送る。「お疲れ様。昨日のアレで足腰痛くない?」 「え!!……ここでそういう話は……」 「あはは。緋雪、動揺してる」 ムッと口を尖らせると、彼は逆にニヤっと意味深な笑みを浮かべた。「その顔やめてよ。尖らせた唇にキスしたくなる」 そう言われて私は一瞬で唇を引っ込めた。「あちらのテーブルへどうぞ。言っときますけど今日は“仕事”ですからね、宮田さん!」 「はいはい」 ガツンと言ってやったつもりなのに、この人には全然効いてない。 ……ま、それは以前から変わっていないな。「これなんだけど……」 移動するとすぐに宮田さんは書類ケースから一枚のケント紙を取り出して私に見せた。 テーブルの上に並べられたそれを見て、私は一瞬で驚愕する。「な……なんですか、これは……」 ケント紙に綺麗に濃淡をつけて色づけされたデザイン画。 生地の素材や装飾の内容など、詳しいことは鉛筆で書き込まれている。 それらを見て、私は息が止まりそうになった。「あれ……ダメだった?」 おかしいな、などと口にしながら隣でおどける彼を、 この時 ――――本当に天才だと思った。「マーメイド……。こんなすごいドレスのデザイン、私は初めて見ました。最上梨子は……計り知れない天才ですね」 「……そう? 緋雪に褒められると嬉しいな」 「感動して泣きそうです。行きましょう! 部長に見せに」 テンション高くそう言うと、宮田さんがにっこりと余裕の笑みを浮かべた。
しばらく意識を手放していた私がぼんやりと目を開けると、そこには逞しい胸板があった。 私を腕枕していた手が肩を掴んで、ギュッと身体ごと抱き寄せる。「起きた?」 声のするほうを何気なく見上げると、やさしい眼差しが向けられていた。 目が合うと先ほどまでの情事を思い出して、途端に恥ずかしさがこみ上げてくる。「緋雪は恥ずかしがり屋さんなんだね」 そう言ってこめかみにキスを落とす彼は、余裕綽々だ。「あ、そうだ。頼まれてたデザイン、出来たんだけど」 「デザインって……」 「もちろんブライダルドレス。海のやつね」 「え?!」 以前に彼が自分で採点をしてボツにしたデザインじゃなくて……。 まったく新しいものを描き直してくれたのだと思うけれど。「出来たって……納得できるものが描けたってことですか?」 「うん。けっこう自信あるよ。自分の中じゃ手直しは要らないと思うくらい」 「え~、すごい!」 食いつくように目を輝かせる私を見て、彼がクスリと笑った。「最近、仕事が絶好調なんだよね。急になにか降臨してくるみたいに、ポーンとデザインが頭の中に浮かぶんだ」 「そういうのを、天才って言うんですよ」 「そうかな? 緋雪と結ばれた次の日から急にそうなったんだけど」 香西さんが、最近の彼のデザインを見てパワーアップしてると言っていたし、素晴らしい才能だと絶賛していたことを思い出す。 やっぱりこの人は、天才なんだ。「出来たデザイン、見せてください」 「ごめん、今ここにはないんだ。事務所にあるから」 「じゃあ、明日事務所に行くので……」 「僕が緋雪の会社に持って行くよ」 「え?」 明日の予定を思い出しながら、何時に事務所を訪問しようかと思考をめぐらせていると、宮田さんから意外な言葉が発せられた。 私がデザイン事務所を訪れることが、普通になっていたのに、どういう風の吹き回しだろう。「うちの会社に、来るんですか?!」 「うん。どのみち出来上がったデザインは袴田さんに見せることになるよね? だったら僕が行ったほうが早いから」 「それはそうですけど……」 「あ、緋雪は一番に見たい?」 その質問には素直にコクリと頷く。 自分が担当だということもあるから余計に、誰よりも早くそれを見たい気持ちがあるのはたしかだ。「じゃあ、袴田さんに会う前
急激に自分の顔が赤らむのがわかった。 彼の言うことはもっともだと思うのだけれど、いざとなると恥ずかしさが先に立つ。「じゃあ……プライベートではそう呼ぶようにします」 「今、呼んで」 「え?!……こっ……こうき」 舌を噛みそうなほどガチガチに緊張しながら彼の名を呼ぶと、クスリと笑われた。「緋雪は本当にかわいい」 「もう!」 「ちゃんとベッドでもそう呼んでね」 からかわないでと言おうとしたところに、逆に彼のそんな言葉を聞いて更に顔が熱くなった。「顔、赤いけど?」 「そりゃ、赤くもなりますよ」 いつの間にか至近距離に彼の顔があって…。 そのなんとも言えない色気に、一瞬で飲み込まれてしまった。「その顔……ヤバい。すごく色っぽい」 「え? ……逆だと思いますけど」 「は? 僕? なにかフェロモンが出てるのかな? 今、めちゃくちゃ欲情してるから」 耳元で囁かれると、電流が走ったように脳に響いた。 彼のくれるキスは、最初は優しくて甘い。だけどそのうち深く、激しくなって……。 舌を絡め取られるうちに、なにも考えられなくなっていく。 手を引かれ、寝室の扉を開けると、彼が私の後頭部を支えるように深いキスが再開された。「緋雪は僕を誘惑するのが本当に上手だね」 ベッドになだれ込んで、覆いかぶさる彼を見上げると、異様なほどの妖艶な光を放っている。「ど、どっちが……ですか」 誘惑されているのは、私のほう。 欲情させられているのも、私のほう。 あなたは自分の持つ色気にただ気づいていないだけ。 ――― 色気があるのは、あなたのほう。 あなたの長い指が、私の髪を梳く。 あなたの大きな掌が、私の胸を包む。 あなたの柔らかい舌が、私の目尻の涙を掬う。「ほら、呼んで? 名前」 ふたりの吐息が交じり合う中、律動をやめずに彼が言う。「……い、今?」 「さっき約束したじゃん」 パーティの夜にも同じことをしたけれど…… 今日の彼はあの時より余裕があって少し意地悪だ。 私には余裕なんて、微塵も無いのに。「早く呼んでよ。じゃないと、僕も限界が来そう」 ほら、と急かされるけれど。 私もやってくる波に煽られて、身体が自然とのけぞってくる。「こう……き。……昴樹……好き」 私の声を聞いて、一瞬止まった彼の律動が
「今日、岳になにをされた?」 感触を確かめながら、私の右手をそっと握る彼の瞳に嫉妬の色が伺える。「全部は見てなかったから。抱きしめられた?」 「いえ、それはないです!」 「だけど、頬にキスはされたよね?」 ……それは、見てたんだ。 というか、二階堂さんも見られているタイミングでわざとやったんだろうけど。「ほかの男でも腹が立つのに、相手が相手だ。緋雪が昔一目惚れした岳だよ?! 僕があれを見て、どれだけ気が気じゃなかったかわかる?」 だから……一目惚れじゃなくて、憧れなのに。「だったらなぜ、私に八年前のことを言わせたんですか?」 私にとっては、もう昔のことで。 ただの憧れだったし、今は綺麗な思い出だ。 だから、八年前のことを二階堂さんに告げてもあまり意味はなかったのに。「緋雪が今も岳のことが心に引っかかってて……要するに好きなんだったら、後悔のないように告白させてあげたかった」 「それで、私と二階堂さんがくっ付いちゃったらどうするつもりだったんです?」 「そしたら……岳から奪う」 彼が、諦める、と言わなかったことがうれしくて。 私の右手を握る彼の手の上に、自分の左手を重ねる。「私は二階堂さんじゃなくて、あなたが好きです」 「緋雪………初めて好きって言ってくれたね」 もっと早く、言うべきだった。 どこまでが冗談なのかわからない彼は、本当は異才を放つ最上梨子なのだ そう思うと、何の取り柄も無い女である私が傍にいるのはためらわれていた。 彼が仕事で関わるモデルの女性はみんな綺麗だから、私より絶対魅力的に決まっている……なんて、歪んだ感情も芽生えたりしていた。 好きだと態度で示されても、気まぐれにからかわれているだけだと思っていた。 いや……思おうとしていたんだ。 彼のデザインを見るたび、彼の作ったドレスに触れるたび、心をギュッと鷲づかみにされてその才能の蜜に吸い寄せられていた。 そんな人に好きだと言われ、態度で示されたら……。 しかもキスなんてされたら……最初から、ひとたまりもなかったのに。「僕も、好きだよ」 彼が心底うれしそうな顔をして、私の右の頬を撫でた。 そしてそこへ、ふわりと口付ける。 今日、二階堂さんがキスした場所と同じところだ。「上書き完了」 そう呟いた彼の顔が妖艶すぎ
「宮田さんにとって、私ってなんですか?」 「え?」 「どういうポジションにいます?」 泣いても喚いても、執拗に詮索しても。 あなたにとって私がなんでもない存在ならば…… 嫉妬したって、それは滑稽でしかない。「一度抱いただけの、仕事絡みの女ですか?」 「違う!!」 弱々しい私の言葉を、彼の大きな声が否定する。「僕は恋人だと思ってるし、緋雪以外の女性に興味はない」 信じないの? と彼が切なそうな表情をする。「こんなに緋雪のことが好きで、思いきり態度にも出してると思うんだけど。僕は自分で言うのもなんだけど一途だし。なのにそこを疑われるなんて……」 不貞腐れたように口を尖らせる彼に、そっと唇を寄せる。 そう言ってくれたことが嬉しくて、気がつくと衝動的に自分からふわりとキスをしていた。 唇を離すと、驚いた顔の彼と目が合う。「良かった。本当に枕営業しちゃったのかと思いました」 「……は?」 それは、パーティの席でハンナさんに言われたことだ。 なぜか今、それを思い出して口にしてしまった。 自分でもどうしてわざわざそれを持ち出したのかと思うとおかしくて、笑いがこみ上げてくる。「あのパーティの夜、宮田さんは……午前〇時を過ぎても魔法は解けないって言ってくれましたけど。朝になったら解けちゃったのかなと……なんとなく思っていたんです」 「どうして? 僕は解けない恋の魔法を緋雪にかけたつもりなんだけどな。あ、いや、ちょっと待って。それじゃやっぱり、僕は魔法使いってことになるじゃん!」 真剣な顔をしてそう抗議する彼に、噴き出して笑う。「不安だったのは、僕のほうだよ」 「……?」 「あの夜は気持ちが通じたと思ったし、心も身体も愛し合えたと思った。だけど、もしも無かったことにされたら……って考えたら、不安だった」 「……そんな」 「僕はやっぱり魔法使いで、王子は岳なのかも…って」 ――― 知らなかった。 宮田さんがこんなふうに思っていたなんて。 二階堂さんと私のことを、こんなにも気にしていたなんて。「宮田さんは王子様兼魔法使いなんですよ」 「……何その“兼”って、一人二役的な感じは」 「それとも私たちは、シンデレラとはストーリーが違うのかも。ていうか、一人二役でなにか問題あります?」 「……ないけど」 気まぐ
手を引かれ、十二階に位置する彼の居住空間へと初めて足を踏み入れる。「お、お邪魔します。お家、ずいぶん広いですね」 おずおずと上がりこんだ部屋には大きめのリビングとダイニングキッチンがあり、話を聞くとどうやら2LDKの間取りのようだ。 まるでモデルルームのように家具やカーテンの色や風合いがマッチしていてパーフェクトな空間だった。 この前麗子さんと話していて、宮田さんはどんなところに住んでいるんだろうと、気になってはいたけれど。 それがこんなに広くてスタイリッシュな空間だったとは思いもしなかった。「ここのマンションの住人には、ルームシェアしてる人もいるみたい。僕はもちろんひとりだけど」 なるほど。ルームシェアもこの広さなら出来ると思う。 なのに贅沢にこの部屋で一人暮らしだなんて……。「緋雪、気に入ったならここに越して来る?」 「え?! 私とルームシェアですか?」 「なにをバカなこと言ってんの! 僕たちが一緒に住む場合は、“同棲”になるだろ」 肩を揺らしてケラケラと笑う彼を見て、拍子抜けしたと同時に私の緊張もほぐれた。 私がはっきりと返事をしないまま、その提案が立ち消えになったことにもホッとする。「いつも事務所じゃコーヒーだけど、今日はビールがいい?」 ソファーに座る私に、彼はそう言ってキッチンからグラスと冷えた缶ビールを持ってきた。「ありがとうございます」 「パーティのとき思ったけど、緋雪はお酒飲めるよね?」 「あ、はい。それなりには」 コツンとお互いにグラスを合わせ、注がれたビールを口に含む。 ゴクゴクと美味しそうにビールを飲み込む彼の喉仏が、やけに色っぽい。 隣に居ながらそれを見てしまうと、自動的に心拍数が上がった。「今日のことだけど。僕が、モデルの子と一緒にいた件……」 ふと会話が止まったところでその話題を口にされ、私から少し笑みが引っ込んだ。「あの子はハンナの後輩なんだけど、けっこう気の強い子でね。ハンナのこともライバル心からかすごく嫌っていて。僕は今日、巻き込まれたっていうか……あの子が、」 「もういいです」 「……え?」 「もう、それ以上聞かないでおきます」 ハンナさんへの当て付けなのか、本気なのかはわからないけれど、あの女性が宮田さんに迫ったんだろうとなんとなく直感した。「言わせて
*** 会社に戻る途中、ずっとモヤモヤした気持ちが抜けなかった。 なんだこれ。こんなんじゃ仕事にならない、とエレベーターの中でそんな自分に気づき、両頬をパンパンっと叩いて喝を入れる。 そうやって気合を入れたのに集中力は続かず、終わったときには時計は十九時半を回っていた。 そうだ、電話しなきゃ……。 ロッカールームで思い出し、宮田さんの番号を表示させて発信する。 今日のことを弁解させてほしいと言っていた彼の困惑した顔が脳裏に浮かんだ。 私だって…… あのモデルの女性と、あんなところでなにをしていたの?と、気にならなくはないけれど。 正直に聞くのが怖い。『もしもし』 数回目のコールで、落ち着いたトーンの彼の声が耳に届いた。「お疲れ様です。今、仕事が終わりました」 『お疲れ様。もう会社の前にいるから降りてきてよ』 「え……はい」 そのまま通話を切り、私はあわててロッカールームを後にした。 遅く感じるエレベーターに乗り込み、会社の外に飛び出すと、一台の車がハザードをつけて停まっていることに気づく。 助手席側のドアを背にして立つ宮田さんの姿があった。 ポケットに手を入れて佇む姿が、車を背景にしているせいか、とても様になっている。 そんなことよりも。たしかに会社に迎えに来るとは言っていたけれど……「い、いったいいつから居たんですか?!」 「はは。息が切れてるね」 それは、エレベーターを降りたあとダッシュで走って来たからです。「私のことはいいんです!」 「えーっと……着いたのは1時間くらい前、かな」 「そんな時間からここに居たんですか?!」 「うん。終わったら電話くれる約束だったし。 だからここで待ってた。とりあえず車に乗って?」 そう言って、彼が背にしていた助手席のドアを開ける。 ずいぶんと待たせたのに、不機嫌じゃないんだ……。 などと思いながら、私は促されるまま助手席に乗り込むとドアを閉められた。 宮田さんはハンドルを握り、喧騒が未だ落ち着きを取り戻さない夜の街を走り抜ける。「あの……どこ行くんですか?」 なぜか運転中無言になっている彼の横顔を見つめつつ、静かに問う。「あー、そう言えばそうだ。どこに行こうか」 「え……」 そっか。そうだった。 この人はこういう人だ。中身は変人と